イエナ

イエナ市遠景。右の高層ビルは「イエナのランドマーク」こと、イェンタワー。ただし、市民は単に「タワー(Turm)」と呼ぶ。1972年、当時のドイツ民主共和国(=東ドイツ)が「国家の威信を賭けて」建設した。ドイツ(再)統一後は大学のキャンパスとして用いられていた時期もあったが、現在はIT企業が所有している。
大学本館、通称"UHG (Universitätshauptgebäude)"前にて。
大学名にその名を冠するシラー(左)と、講義するヘーゲル(右)の胸像。いずれもUHG前にて。
ツァイス社のコンビナート跡に建つ大学新館前にて。フランク・ステラのオブジェとともに。
イエナの「へそ」こと、マルクト(市場広場)にて。市民に「ハンフリート」と通称されて親しまれている大学創設者ヨハン・フリートリヒ侯像とともに。
「イエナの表玄関」こと、パラディース駅。ベルリン(→ハンブルク)およびミュンヘン方面へのICE(ドイツの新幹線)が発着。パラディース(Paradies)とは、英語の「パラダイス(paradise)」。いかにも共産主義時代の命名という臭いがするが、ドイツ(再)統一から20年近くを経た時代に留学した私にとっては、イエナはたしかに「楽園」そのものの街であった。
パラディース駅が表玄関なら、この西駅は「裏玄関」。フランクフルト方面からは、エアフルトまたはヴァイマールでICEから快速に乗り換えてこの西駅に到着する。私がイエナへの第一歩を記したのも、この西駅である。ご覧の通りの非電化区間。初めてこの駅に降り立った時、「え?ディーゼルカーしか走らない街でこれから一年を過ごすのか?」と絶句した(もちろん、直後に電化されたパラディース駅を見て一安心したのだが)。パラディース駅で下車する際もそうだが、車窓にタワー(この写真の右遠景)が飛び込んでくると「ああ、『わが町』イエナに帰ってきた!」という感情が湧き上がってくる。
「イエナの銀座」(?)こと、ゲーテギャラリー。クリスマス前の、イルミネーションの煌びやかな時期の撮影。
大学提供の学期前語学講座にて。左からエータ(ラトヴィア)、杉山、マリー(チェコ)、アドリアーナ(伯)、エリーザ(伊)、キアーラ(伊)、ローリー(米)、アシュリー(米)、マット(米)、マータ(希)、マレク(スロヴァキア)、ハナ(チェコ)、アキ(日)、サトシ(日)、先生のケルスティン。
1月16日、イエナロータリークラブにてスピーチ。マッシャー会長とバナー交換。
同上。マッシャー会長と杉山の間に(小さく)写っているのが受入側カウンセラーのヴァイカルト氏とその奥様。奥様はご両親のお仕事の関係で少女時代を日本で過ごされたために日本語を解し、イエナ市観光局の日本語ガイドも務めていらっしゃる。
コスペダ古戦場のナポレオン碑の前にて。1806年10月14日、ここで彼の率いるフランス軍はプロイセン軍を撃破。戦後、意気揚々とイエナ城(現在の大学本館はこれを改装したもの)に入る彼を市民とともに目撃した、当時イエナ大学員外教授だったヘーゲルは、これを「世界精神が馬に乗って通る」と評した。
5月11日、「われらがホームチーム」FCカール・ツァイス・イエナのホーム最終戦(対カイザースラウテルン)を観戦。結果は2-2のドロー、菊池はベンチ入りせず。

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